縄文からつづく、
暮らしの地。
縄文時代の住居跡が数多く発見された
寒川の地は、
いにしえから
多くの人たちに選ばれ、
住み続けられてきた土地です。
その長い歴史が、
町民の優しく真面目な人柄に
つながっているかもしれません。
岡田遺跡と
釣手土器
小出川を望む大地の中位面に立地する旧石器時代から縄文時代、弥生時代の複合遺跡。住居跡は、確認されただけでも600軒以上あり、未調査の部分を含めれば、1000軒を超える日本最大級の遺跡になるとも言われ、釣手土器なども出土しました。昔から人が住みやすい風土だったと思われます。
大(応)神塚古墳
全長約51mの前方後円墳であり、5世紀前半に相模川下流域を治めていた首長の墓です。
周辺からも7世紀代のものと思われる5基の小型古墳が発掘されており、大きな地域社会が存在したことが想像されます。
そのほかにもさむかわでは、多数の遺跡等が発掘されており、遥かいにしえより相模川下流域における暮らしの中心地であったことが分かります。